己に負けず
一歩ずつ歩みを固める
2008年11月入社
体育専門学郡卒
山下 賢吾
KENGO YAMASHITA
資材部 川崎・千葉グループ
方向転換した道が繋いだ、故郷への貢献
出身が延岡である山下にとって、幼少の頃から旭化成は愛着のある企業だった。体育教師になることを目指し、大学進学のため関東へ上京するも、体育教師の採用倍率の高い壁にぶち当たり、一度は公務員の道を目指した。同時並行で探していた一般就職。山下は旭化成のキャリア採用募集広告を見て、入社試験を受けた。「化学メーカーというイメージしかなかったけれど、調べていくうちに、これだけ世界で活躍している企業の一員として頑張りたい、そして地元に少しでも貢献できれば、という気持ちでした」。山下は、全国転勤も覚悟のうえで、狭き門をくぐり抜け入社。配属先は、地元・延岡の資材部だった。
購買担当として受け持った工場は、スーツの裏地やアウターなど衣類で利用される繊維ベンベルグの工場を中心に5つの工場を担当。工場を稼働させるための基盤である、機械の工事契約を山下が受け持つことになった。「体育系出身ですから、全く世界が違う。ボルトと言われてもわからない状況からスタートでした」。専門的な知識は無いことをマイナスではなく、「日々、成長が実感できる」とプラスに捉え、現場へ足を運び、わからなければ人へ聞き、スポンジのように知識を吸収していった。また、取引先との契約には、下請法をはじめとした法律も絡んでくる。山下は、講習にも積極的に参加し、知識と経験を蓄積していった。
当時の延岡の購買担当は9名のベテラン揃い。そんな中、ゼロからスタートし、がむしゃらに追いついてきた。「先輩たちは私に教えている余裕もないくらい忙しい。そんな周りのお荷物にならないよう、早く追いつきたいという気持ちが強かったです」。先輩の交渉の場面には同席し、交渉力を隣で見て学んで自分のものにしてきた山下の地道な姿勢は、3歳から大学まで打ち込み、高校時代には全国優勝するほど真剣に向き合ってきた剣道で培ったもの。「負けたくないという気持ちで頑張ってきた。試合にではなく、厳しい練習を含め自分に負けたくなかった。続けるうちに、昨日できなかったことが次の日には少しできるようになる。その繰り返しでした」。できなかったことができたとき、それは自信となる。少しずつ自信を重ね、次々とチャレンジすることが習慣として身について来た。それは、仕事でも存分に活かされている。「フォローしてくれる環境は整っている。あとはどれだけ自分でチャレンジしていくか」。故郷の地で、努力を重ねる山下に、大きなミッションが舞い込んでくる。
急遽降りかかってきた、8億円の契約
旭化成の工場では、機械や設備の定修のために約1カ月間、工場を停止させる。入社3年目の山下が担当していた延岡のベンベルグ工場でも、1カ月の定修を予定していた。当時の延岡資材部では、工事契約組と、設備購入組に分かれており、山下を含む3名が工事契約を担当。定修では、全機械の点検・修理工事が行われるため、工事契約組には当然のように激務が予想された。そこで山下は、大口契約の対応が任された。その規模、契約件数600件、総額は8億円。これを限られた期限の中で、切り盛りしていく必要があった。
「とにかくすべてを処理するために、優先順位を見極め、取引先の特徴を見て、重点を置くべきところはどこかなどの判断をするように心がけました」。工事契約は、着工日前に注文書を発行するのが基本。山下はその着工日をチェックして、それを基準に優先判断を下した。件数が多いとはいえ、もちろん利益を出すためにも価格交渉は怠らない。複数の取引先に入札への参加を呼びかけ、安価を引き出すなどの工夫をした。「そのときは本当に大変でしたが、振り返ると大きな自信につながりました」。
周囲への感謝の気持ちを抱き、新天地へ
6年半、延岡で購買の業務をこなし、工場の安定操業のために貢献してきた山下に、異動が発令される。配属先は、川崎工場だった。「都会への憧れもなかったですし、地元の延岡でゆっくり過ごしたいと思っていた」。離れたくない、という気持ちと同時に、山下の中には新天地での挑戦にワクワクする気持ちも湧いていた。
大学以来、再び上京することになった山下は、川崎、浮島の2工場の購買担当を担っている。延岡では機械工事契約を中心に契約を行ってきたが、川崎では、電気と計装の購買を担当。これまでと異なる分野の契約であるため、覚えるべき内容も多い。
現在は、月200件ほどの案件を、約50社を相手に取引する日々。お互いに利益が出て、いい方向へ進める契約をしたい。それが、山下のポリシーだ。そう思うようになったのは、延岡時代に工事を請け負ってくれ、一生懸命に対応してくれた取引先の方々を見ていたからだ。「取引先の方のご協力なくして、工場を稼働することはできない。そのことを肝に銘じて業務に取り組んでいます。当社の製品を買っていただくお客さまも弊社を支えてくれる業者の方も弊社も全員が幸せになれるよう、努力を重ねていくことが重要です」。
山下たち資材部がいなければ、旭化成の工場は正常に稼働できない。しかし、その先には、山下が契約する取引先がいる。旭化成が長い歴史を築きながら世界レベルで活躍できているのは、取引先など周りの協力があってこそ。入社してその真意に気づいた山下は、交渉の席に座る際、相手への感謝の気持ちを忘れずに向き合う。
そんな大切なことに気づけたのも、延岡で親身になって本気で叱ってくれる先輩がいたからだ。『小さな気配りや細かいところに気が回るようになって、少しずつ一人前の大人になっていくんだ。剣道を通して何を学んできたんだ。』と、口論になりながらも諭してくれた先輩がいる。周りの協力など、いろいろな人が関わって、生活も仕事も成り立つのだと、実感しています。
ときにつらさを感じながらも続けてきた剣道の道も、先輩からの諭しも、すべては社会で自分が活躍するための学びにつながっている。購買はもとよりさまざまなことにしっかり対応できる未来を目指して、山下は一歩ずつ足元を固めている。
大好きなラーメンでリフレッシュ
週5回食べるほどの、ラーメン好き。九州ではラーメン=豚骨スープだったが、関東へ来て、つけ麺と醤油味にもトライ中。家系が集まる横浜在住のためいろいろなラーメン屋を巡っているが、九州ラーメンを目にすると吸い寄せられるように入ってしまう。太麺のやわらかめが好みの麺。