ゴールの先に広がる世界を、
思い描いて
2007年入社
教育文化学部 社会システム過程卒
坂本 純平
JYUNPEE SAKAMOTO
石油化学事業管理室 基礎化学品・ポリエチレンG
故郷・宮崎を背負って、東京へ
「これは何かの縁かもしれない」。大学4年時、院への進学を希望していたが合格につながらず、さてこれから遅めの就職活動を始めようと坂本が採用窓口へ足を運んだ前日に、旭化成の採用担当者が求人に来たこと知る。旭化成発祥の地延岡市の隣町で育った坂本にとって、旭化成は遠い存在ではなかった。
募集内容は、経理。しかし、教育学部で簿記に触れたことはない。まして、数学が苦手だった。「とりあえず、やればできるだろう」。持ち前の精神で、坂本は延岡地区の愛宕事業場の管理室に配属されケミカル部門の工場で原価管理を担当しながら工場経理の基礎を固める。
7年間、管理会計担当として自信をつけ始めたころ総合職へ転換。そのタイミングで、東京本社へ異動となった。「私がここにいると、後輩の成長のためにもよくないと思い、他の工場へ出たいと上司面談で話した。それがどう転んだのか、本社だったんです」
生まれ育った宮崎を離れ、本社に席を構えた。「ポリエチレン事業部の担当ですが、転勤した当時、事業環境はとても厳しかったです。だからこそやりがいがありました」。
事業環境が厳しいからこそ、損益管理やコストダウンが重要になってくるし、自らが考えた視点や工夫をすることで、事業の損益改善に貢献出来る。
坂本の現在の業務は、ポリエチレン事業部の営業や工場の声をもとに実績の損益分析をし、製造の年間計画の根底を担う予算を組む。また事業活動の方針を決めるための数字を作る。その他にも、坂本は一般的には経理の日常業務ではないコストダウンの提案などにも積極的に取り組んでいる。「日々、会社の様々な数字を見ている経理だからこそ見えるコストダウンの視点があると思っています。愛宕事業場にいた時も、データを分析してコストダウンのネタはないかと常に探していました。その意識は、本社に来てからも保つようにしています」。
愛宕で培った視点は、東京でも輝いている。
殻を破り、恐れずに進んでいく
愛宕事業場での勤務時代に、若手メンバーのリーダーとして、コストダウン活動に取り組んでいた。工場がコストアップしている原因はなにか。坂本はある産廃処理のビジネスモデルに着目する。「工場から出る産廃プラスティックを、直接産廃処理する会社に持ち込むのではなく、引き取り業者、さらに運搬しやすいように加工する業者を介するフローになっていました。経理の普段の業務ではこんなビジネスモデルまで深堀しない。直接産廃業者に持ち込むとコストが下がりますと、20工場に若手5人で分担して現場に出向き、説得しました」。
1工場につき、数百万円単位のコストダウンだが、延岡地区全体で考えたら大きなコストダウンだ。しかし逆を言えば、古くから繋がりのある地元の業者の年間数千万円の売り上げを奪うことになる。繋がりを重んじる風土から釘を刺された。しかし、コストアップしている現実が目の前にある。
「最終的な判断の場に、私は立場上出られません。自分たちの提案を採用してもらうために一所懸命資料を作って、『工場の担当者とは話がついていますから、あとは会社で決断してください』と課長へ提出しました」。
結果は、坂本たちの努力と勇気が実り、採用されて成果へ繋がった。
「素直に嬉しかったです。これまでやってきたことが採用された。改善した金額自体のインパクトは少なかったかもしれませんが、ここでどうやったら経理が事業に直接貢献することができるかを仕事を通じて学びました」。
本社へ異動になってからも、坂本らしい方法で事業に切り込む。例えば、総合職転換のために取得した中小企業診断士の資格を活かし、取引先企業の工場へ赴き、原価管理の課題やコストダウンのアイディアを提案。表向きはサービスの一環だが、値上げ交渉や今後の営業の潤滑油の役割を果たしている。
また、外注加工事業のデータを見ていたとき、外注加工会社が把握している原料ロスの数量と実際に発生している数量に差があることに気づいた坂本は、原価計算と数量管理の方法を見直すことにした。実際に外注加工会社がある山形へ営業担当者と一緒に出向き、外注加工とは作るだけでなく製品や原料ロスの管理を含めた契約が大前提であることを相手が納得いくまで説明。「相手からしたら煙たかったと思います。現場での製品やロスの数量管理方法に手入れをするわけですから。ただ、そうしたデータを正しく見える化することで、次のコストダウンの提案に繋がり、事業に貢献することができると思っています。」。
外注加工会社との長く続く事業をただ継承するのではなく、不具合があればこじ開けて洗い出す。「製造や技術の知識がない私が現場に行くと、知らないことだらけだから相手に聞くわけです。『これは何のためにやっている作業ですか?』と。そうするとみんなが改めて検討するきっかけになる」。
これには、大学時代に坂本が取り組んでいたまちづくりの経験が活きている。
「地方創生の切り口は“よそ者・ばか者・若者”と言われていますが、外注先からしたら私はまさにこれ。何も知らない私が入って話を聞くことでクリアになることがあるし、それに加えて原価計算というスキルをもって他の人が見ていないところを見るようにしています」。
どれだけ貢献できるかという精神
愛宕事業場から離れて本社で働く日々を通して、改めて気づいたことがある。「将来は工場に戻って、責任者というポジションになるべく育てていただいたのだと、自分なりに感じています。だから本社での業務は、将来の為の貴重な経験と修行の機会」。坂本の視線は、10年後の未来へ向いている。
入社からの愛宕時代、時に厳しく指導してくれた上司から、総合職転換した際にメッセージを送られた。
「5年後10年後どんな立場で、どんな仕事をしたいか、常に意識しておけ」と。
「自分が戻る先があるのか。今後、システム化が進む中でどういう風に工場地区の経理は生きていくべきか。その中で、自分の役割は何だろうか−。これを常に考えています」
考えを巡らせる際、坂本にはブレない想いがある。それは、同じ上司のこんな言葉が根底にあるから。
「会社や工場、事業にいかに貢献するかということを、ひたすら考えろ」
坂本にとっての貢献とは、経理というスキルを武器に、その時に担当している事業がゴールに到達するのを自分らしい方法でサポートすること。有終の美を飾るゴールを、常に思い描いている。
歴史好きが高じて、休日は城巡り
東京転勤が決まった時、同郷の奥さんは宮崎を離れることをためらっていたが、今では帰りたくないというほど、東京での生活を楽しんでいるという。週末は夫婦でファミレスへ行き、英語の勉強を、奥さんは読書をして、一緒に過ごすことが多い。また、歴史が好きで、時間があれば全国の城巡りをして休日を過ごしている。